鯤鯓・凝望

文/フォトグラフィ計画キュレーター——— 沈昭良·協同キュレーター ———沈裕融

「私たちは川から来た:流域の千年・共に綴る文化」展は、暗黙的に起源を指し示す「私たちはどこから来たのか?」という歴史的な問いかけに基づき、1624年にオランダ人が台南安平にやってきてから今日までの400年を振り返り、台湾の歴史記述と編纂の始まりを再探求しています。展示会のタイトルである「河(川)」は、固定性と安定性を持つ陸地を歴史の舞台とする「地域」という考えの継承に対し、流動性と開放性を持つ「流域」に目を向け、内へ収集・凝縮しながら、外へ拡張・展開する変化とビジョンに答えています。また、一方ではこの考えに従って古都台南における水の脈動を探り、都市の地下に埋もれた流域を展開しています。この絡み合った水脈のネットワークは、大航海時代に始まった人間と自然の生態学的相互作用を反映しているほか、400年にわたって蓄積されてきた時間の質感を水、文化、景観という形でゆっくりと浮かび上がらせています。

台湾の人々にとってこの伝説は馴染みがあるかもしれません。伝説によると、誤って仙桃を食べた天池の大鯉が下界に追放され、台南一帯の海域に棲みつきました。水域に臥して安平に頭を深く沈め、背を湾里に伸ばし、台江から対岸の赤崁城を静かに眺めており、そこには翼を広げた鳳凰が棲みついていると言われています。1624年、オランダ人はゼーランディア城を築城するにあたり、鳳凰を永遠にとどめるため、頭部にあたる土地を選んだと言われています。これらの伝説は、台南の地形を描写する上での水路の重要性、水路が風景を生き生きとした動物のイメージに変えてきた過程、そして大航海時代以来、経済植民地と商業貿易の激しい浮き沈みにもまれてきた人々の物語と想像力を示しています。

水中に潜む鯤は、まるでカメラレンズのように台南府城を凝視し、大航海時代における鳳凰城(台南の別称)の貿易史、生態系や景観の変遷、文化と社会の変革を見守ってきました。今回のサブ展示会「鯤鯓凝望」は、歴史的意識を持った凝視の継承を目的としています。また、「2022 Mattauw 大地の芸術祭-曾文渓の千の名前」における「スニーキングフォトグラフィプロジェクト」に基づきながら、外向きの構想を維持しています。曾文渓流域を起点とし、支流に沿って徐々に水域、川、ダムに広がっていきます。次に、民俗と宗教儀式の中で、水と大地が交わす内なる対話の自由な姿を記録しています。そして、都市、村、山といった人と文化の景観に入り込み、府城の残光を映す風景のかけらを拾い集めています。最後に時間の入れ物である体、さまざまな共同体や生存環境におかれた人々の生き生きとした姿を凝視しています。

この凝視の視点は「神性の境地」におけるさまざまな宗教儀礼から、「河道の領域」である陸海空の全面的かつ地理的な観察にまで及んでいます。外部のあらゆる地理を精神的および内在的な生命の光景である「庶民の顔」に変換し、都市空間にて一見平凡かつ素朴でありながら馴染みのない「人間の地」を歩き、最後に「双渓の痕跡」の中で、府城の文化発展の命脈を決定する「福安坑渓と徳慶渓」を再探求しています。台南美術館の窓越しに旋回する空撮映像が「鯤鯓凝望」の眼差しと向かい合っています。2つの異なる地域を起点とした視点の切り替えと移動を通じた撮影で、台南の400年にわたる文化の展開を写し出しています。

神性の境地

河道の領域

庶民の顔

人間の地

双渓の痕跡