風土・衆声

五条港

    郭柏川家族は商業の中心地である五條港で代々棕梠業を営んでいました。この作品は1927年に描かれ、彼の生まれ故郷である台南、いまの忠明街や海安路周辺の「打棕街」に私たちを連れ戻します。

    郭柏川

    台南打棕街生まれです。1928年、日本の東京美術学校で岡田三郎助に師事しました。赤島社、光風会、台湾美術展覧会にも積極的に参加しました。岡田三郎助からは、当時流行していた写実的な光と影、絵画の幾何学的な造形と構造を重視し、筆遣いと顔料の質感で空間の奥行を演出する外光派を学びました。1937年、日本から中国に渡り、北平師範大学と北平芸術専科学校で教鞭をとりました。1939年、郭柏川は審査員として中国に招かれた梅原龍三郎を迎え、2人で北京の至る場所をスケッチしました。梅原の画仙紙に油絵を描くという特殊な画法も郭柏川の後の創作に影響を与えました。郭柏川の作品は、大胆な色使い、シンプルな線、紙に描く独特の画風が大きな特徴となっています。
    31 x 40cm
    油彩、カンバス
    1927